朝には忘れてる
送られてきたリンクを開くと、水が流れ絵の具が剥がれ落ちていくその様も、絵の一部だという作品が紹介されていた。そこには人々の移動が表現されていた。
幾度も向き合う事で自分を超えてきたと思われる人が、リポーターの女性に向かって、優しい口調で強い志しを語っていた。
「最後まで見てごらん」
嫌だった。3秒ぐらいで嫌だった。特にテロップが嫌だった。テロップって下品だ。YouTubeのタイトルみたいだ。
美しい絵の具は全て流れて、目の前には現実だけが剥き出しに置かれていた。
もし親から言われた言葉なら「今はいい」と冷たく返して、自分の部屋に行ってドアを閉めてしばらく閉じこもっただろう。
私も明るい色の絵の具が良かった。
物事を乗り越えてから、または達成してから数年後に初めて、語られる苦労にも救われるが、絶望も同時に味わう。この世界は常に何者かである必要がある。
いつ乗り越えられるかはわからない、まだ途中の物もあったりする、それが日常だと思う。昨日まで平気だった事は今日も平気とは限らない。明日もきっと自分を理解できないろう。